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<title>戦国時代雑記</title>
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<description>日本の戦国時代について、書評や雑感などを書こうと思っております。遅読のため毎日の更新はできませんが、２週間に１度くらいは更新してゆこうと思っております。</description>
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<item rdf:about="http://sengokuzakki.seesaa.net/article/86039101.html">
<title>『佐々木六角氏の系譜－系譜学の試み』佐々木哲</title>
<link>http://sengokuzakki.seesaa.net/article/86039101.html</link>
<description>今回は、   佐々木哲『佐々木六角氏の系譜－系譜学の試み』思文閣出版です。 本書では、宇多天皇から始まる六角氏の歴代の事跡を一人ずつ解説しています。 まぎらわしい名前が多く、読むのにかなり集中力がいるかと思いますが、藤原道長、源頼朝、足利尊氏らその時代時代の主役達と深く関わった佐々木（六角）氏の軌跡は本当に興味深いものです。 六角氏については類書がないのではないのでしょうか？ 戦国時代に限って言っても、近年は管領代に任ぜられた六角定頼と足利政権との関係が注目されるなど、この時...</description>
<dc:subject>その他</dc:subject>
<dc:creator>天王寺屋</dc:creator>
<dc:date>2008-02-23T13:04:46+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
今回は、<br />　　　佐々木哲『佐々木六角氏の系譜－系譜学の試み』思文閣出版<br />です。<br />　本書では、宇多天皇から始まる六角氏の歴代の事跡を一人ずつ解説しています。<br />　まぎらわしい名前が多く、読むのにかなり集中力がいるかと思いますが、藤原道長、源頼朝、足利尊氏らその時代時代の主役達と深く関わった佐々木（六角）氏の軌跡は本当に興味深いものです。<br />　六角氏については類書がないのではないのでしょうか？　戦国時代に限って言っても、近年は管領代に任ぜられた六角定頼と足利政権との関係が注目されるなど、この時代の研究に欠かせない一族ですので、本書は貴重だと思います。<br /><br />　では、本書のなかで興味深かった所を２、３点申し上げます。<br />　まずは、以前より指摘されて来たことでもありますが、一般に言われているように六角氏の当主が、定頼→義賢→義治と続いてきたのではなく、義久→義秀→義堯…と連なる本家ともいうべき別の系譜があったことを詳細に解き明かしております。<br />　次に、六角氏と<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%90D%93c%90M%92%B7" class="affiliate-link" target="_blank">織田信長</a>の関係です。従来、戦国末の六角氏の状況は、ほとんど織田信長側の視点で語られてきましたが、本書では当然六角氏側からの視点で述べられています。そのため、織田氏対浅井・朝倉氏という視点で見られてきた状況が、実は足利・織田連合軍対六角・浅井・朝倉連合軍の戦いであったということ、さらに、姉川の戦いにおける勝敗について、浅井・朝倉氏側が勝利したと指摘しています（浅井･朝倉側を勝利者（または引き分け）とする説は、先行する論考があります）。<br />　さらに、最も興味深かったのは朝倉義景を「六角氏綱の孫」としている点です。私は恥ずかしながら初めて知りました。この説は決定的とまでは言えないと思いますが、①「『朝倉家録』所収の「朝倉家之系図」で、義景が六角氏綱の子息という異説を載せていること、②義景の近辺に六角氏被官山内・河端・九里・杉若氏らが見えること、③義景が２種の花押（その内一種は六角氏様）の花押を使い分けていることが挙げられており、無視できない状況証拠といえると思います。<br />　ちなみに、同じ著者が執筆している『戦国大名閨閥事典　<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%91%E6%93%F1%8A%AA" class="affiliate-link" target="_blank">第二巻</a>』では浅井久政を「六角佐々木氏系図略」及び「浅井日記」を根拠とし、「六角氏庶子か」としています。<br /><br />　以上、本書の概要について述べてきましたが、この著者は最近、本書の続編とも言うべき『系譜伝承論－佐々木六角氏系図の研究』を発刊されていますので、次回はこの本をレポートしようと思います。
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<item rdf:about="http://sengokuzakki.seesaa.net/article/82137652.html">
<title>『わたしの東濃戦国史』小林保一</title>
<link>http://sengokuzakki.seesaa.net/article/82137652.html</link>
<description> 今回は、   小林保一『わたしの東濃戦国史』新人物往来社です。 美濃国の東端は飛騨国や信州木曽地域とつながり、その関係が無視できない地域であることから、本書によって新知見が得られるのではないかと思って期待して読んで見ました。 ところが、ネットで購入し中身を確認しなかったため、残念ながら私の想像とは異なる内容でした。 著者自身が前置きしているので､細かな事実の誤りはともかく､東濃の戦国時代を元亀三年（１５７２）の武田信玄の西上からと規定しているので、それ以前の叙述がほとんどあ...</description>
<dc:subject>その他</dc:subject>
<dc:creator>天王寺屋</dc:creator>
<dc:date>2008-02-03T00:43:57+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
 今回は、<br />　　　小林保一『わたしの東濃戦国史』新人物往来社<br />です。<br /> 美濃国の東端は飛騨国や<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%90M%8FB" class="affiliate-link" target="_blank">信州</a><a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%96%D8%91%5D" class="affiliate-link" target="_blank">木曽</a>地域とつながり、その関係が無視できない地域であることから、本書によって新知見が得られるのではないかと思って期待して読んで見ました。<br /> ところが、ネットで購入し中身を確認しなかったため、残念ながら私の想像とは異なる内容でした。<br /> 著者自身が前置きしているので､細かな事実の誤りはともかく､東濃の戦国時代を元亀三年（１５７２）の<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%95%90%93c%90M%8C%BA" class="affiliate-link" target="_blank">武田信玄</a>の西上からと規定しているので、それ以前の叙述がほとんどありません。私としては、よく知られたこの時期よりもそれ以前の歴史に興味があったので、非常に残念です。<br /> とはいえ、著者は本書の執筆目的を「歴史の本には、むずかしい語や言葉が出てくるが､わたしは一般大衆や<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%8Eq%8B%9F" class="affiliate-link" target="_blank">子供</a>でも読めるように、むずかしい表現はなるべくしないで易しい言葉を用いるように心掛ける」と述べているように、歴史を平易に語るという趣旨は達成されていると思いますので､この地域を地縁などがある人の歴史入門書としては最適なのではないでしょうか。<br /> 余談になりますが、岩村城の女城主・修理夫人（遠山景任室）は<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%90D%93c%90M%92%B7" class="affiliate-link" target="_blank">織田信長</a>の叔母ではなく、濃姫であるとする説があるようで（小野稔著『新女城主』）、これは初耳でした。
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<item rdf:about="http://sengokuzakki.seesaa.net/article/79797110.html">
<title>『日本中世の謎に挑む』今谷明</title>
<link>http://sengokuzakki.seesaa.net/article/79797110.html</link>
<description> 今回は   今谷明『日本中世の謎に挑む』ＮＴＴ出版です。 先日紹介しました今谷氏の著書『京都・一五四七年』で本書が触れられていたので、読んでみました。 書名は『日本中世の謎に挑む』となっていますが、「中世の謎を解明してゆく」といった内容ではなく、今谷氏の半生記といったもので、氏の学者としての経歴や学問の遍歴について語っています。言ってみれば、「今谷氏がどのように中世の謎に挑んできたか」という内容です。 『京都・一五四七年』を初めとして、今谷氏の主要著作についての著者自身の思...</description>
<dc:subject>その他</dc:subject>
<dc:creator>天王寺屋</dc:creator>
<dc:date>2008-01-21T00:59:45+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
 今回は<br />　　　今谷明『日本中世の謎に挑む』ＮＴＴ<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%8Fo%94%C5" class="affiliate-link" target="_blank">出版</a><br />です。<br />　先日紹介しました今谷氏の著書『<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%8B%9E%93s" class="affiliate-link" target="_blank">京都</a>・一五四七年』で本書が触れられていたので、読んでみました。<br />　書名は『日本中世の謎に挑む』となっていますが、「中世の謎を解明してゆく」といった内容ではなく、今谷氏の半生記といったもので、氏の学者としての経歴や学問の遍歴について語っています。言ってみれば、「今谷氏がどのように中世の謎に挑んできたか」という内容です。<br />　『京都・一五四七年』を初めとして、今谷氏の主要著作についての著者自身の思い入れや本意などが叙述されていますが、学問的な叙述はあまりありません。各著作についての今谷氏の最新研究成果でも乗っていれば面白かったと思うのですが、そのようなこともあまりなく、歴史書として読むといささか期待外れになってしまうのではないでしょうか。<br />　とはいえ、一人の歴史家がどのように誕生したのか、という内容ですので、これから歴史の専門家になられる方が読まれれば、参考になったり、勇気づけられるのではないでしょうか。<br />　ただし、今谷氏自身が「私の歩みが歴史学会の主流と受け取られては非常に困る」と述べているように、今谷氏の経歴は経済学部を<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%91%B2%8B%C6" class="affiliate-link" target="_blank">卒業</a>、一度は官僚となりながら、紆余曲折を経て歴史学者となったという特殊事例です。よって、学者を目指すための一般的な指針とするのは難しいとは思います。
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<item rdf:about="http://sengokuzakki.seesaa.net/article/78066311.html">
<title>『落日の室町幕府』水藤真</title>
<link>http://sengokuzakki.seesaa.net/article/78066311.html</link>
<description> 今回はひきつづき京都戦国史関連で、   水藤真『落日の室町幕府』吉川弘文館です。先日紹介した『棟札の研究』と同一の著者になります。 副題に「蜷川親俊日記を読む」とある通り、室町幕府の政所執事伊勢貞孝の家臣であり、政所代を務めた蜷川親俊の記した日記を読むというのが主題です。 この本の印象は大学の講義録といった感じでしょうか。私たちの多くが関心を持つような畿内政治史の大きな出来事について特筆して叙述するのではなく、この史料の特徴（実際にどのような事柄がどの程度（何回）述べられて...</description>
<dc:subject>その他</dc:subject>
<dc:creator>天王寺屋</dc:creator>
<dc:date>2008-01-13T01:00:00+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　今回はひきつづき<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%8B%9E%93s" class="affiliate-link" target="_blank">京都</a>戦国史関連で、<br />　　　水藤真『落日の室町幕府』吉川弘文館<br />です。先日紹介した『棟札の研究』と同一の著者になります。<br />　副題に「蜷川親俊日記を読む」とある通り、室町幕府の政所執事伊勢貞孝の家臣であり、政所代を務めた蜷川親俊の記した日記を読むというのが主題です。<br /> この本の印象は<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%91%E5%8Aw" class="affiliate-link" target="_blank">大学</a>の講義録といった感じでしょうか。私たちの多くが関心を持つような畿内政治史の大きな出来事について特筆して叙述するのではなく、この史料の特徴（実際にどのような事柄がどの程度（何回）述べられているのか）といったことが解説されています。<br /> ところで、私は『親俊日記』の原文を見た事がないのですが、本書では、年間行事や催し物についての記述で一章を割き、<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%82%BB%82%CC%91%BC" class="affiliate-link" target="_blank">その他</a>は登場人物の解説や時代背景の記載なのですから、この史料のおおよその性格が察せられます。<br /> 特に著者は、木沢長政の戦死についての叙述を例にあげ、「ところがその記述は『親俊日記』や『大館常興日記』よりも公家の『言継卿記』の方が詳しいのである。（中略）全く不可解と感じるのだが、それは常興にしても親俊にしても、もはやこれら畿内の情勢に主体的には関わり得ないそういう立場の反映ではないかと思う」と述べております。これが室町幕府の重職である政所代の日記なのですから、驚きです。この頃には政所も政所代も形骸化していたことの現われなのでしょう。<br /> そう言った意味で本書の書名である『落日の室町幕府』から、室町幕府最末期の政治状況が詳述されていると思って購入された方はいささか期待外れかもしれません。本書ではあくまでこの時代に生きた一個人が“自身に関わりのあること”を記述した史料についての解説です。<br /> ところで、本書では前述したようにこの時代の時代背景について概説されているのですが、これは便利でした。近年の機内戦国史の研究状況が平易に記載されています（ここでもその“たたき台”となっているのは今谷明氏の著書（『室町幕府解体過程の研究』、『戦国期の室町幕府』）です！！）。これは一読の価値があると思います。<br /> 結局、『親俊日記』という史料の性格上、ダイナミックな内容ではありませんが、史料への基本的なアプローチの方法として読めば、たいへん<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%95%D7%8B%AD" class="affiliate-link" target="_blank">勉強</a>になる本です。
]]></content:encoded>
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<item rdf:about="http://sengokuzakki.seesaa.net/article/78056594.html">
<title>『謎解き洛中洛外図』黒田日出男①の追記</title>
<link>http://sengokuzakki.seesaa.net/article/78056594.html</link>
<description> 前回、洛中洛外図関係は最後にすると書いたのですが、その後、阿部哲人氏の「上杉本洛中洛外図屏風―景観・制作をめぐって―」（『日本歴史』７００号）という論文（２００６年９月の刊行ですから、この屏風のまとまった論考としては一番新しいものかと思います）を見つけましたので、これについて若干触れたいと思います。 なお、以下の内容は黒田氏の著書についてですので、過去の私の記事（『謎解き洛中洛外図』黒田日出男①）を参照の上お読み下さい）。 この論文の内容は、同屏風の研究史の概説となっており...</description>
<dc:subject>洛中洛外図</dc:subject>
<dc:creator>天王寺屋</dc:creator>
<dc:date>2008-01-12T19:48:01+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　前回、洛中洛外図関係は最後にすると書いたのですが、その後、阿部哲人氏の「上杉本洛中洛外図屏風―景観・制作をめぐって―」（『日本歴史』７００号）という論文（２００６年９月の刊行ですから、この屏風のまとまった論考としては一番新しいものかと思います）を見つけましたので、これについて若干触れたいと思います。<br />　なお、以下の内容は黒田氏の著書についてですので、過去の私の記事（『謎解き洛中洛外図』黒田日出男①）を参照の上お読み下さい）。<br />　この論文の内容は、同屏風の研究史の概説となっており、黒田氏の著書とかぶりますが、黒田氏の著書より後に刊行されたため、氏の説も相対化しております。<br />　具体的には、「『上杉年譜』も『謙信公御書集』も、やはり近世における編纂物であるため、より確実な史料による裏付けが必要である」ことは黒田氏自身も認めていることを指摘し、さらに「信長贈与説も『上杉年譜』や『謙信公御書集』に先行する軍記に記載されているのである。これらの史書が軍書に基づいた可能性をまったく排除することはできない。あえていえば、軍書作者の創作の可能性すらある」と述べておられます。<br />　また、本屏風の発注者について、宮島新一氏の説（『画壇統一にかける夢』今谷明・宮島新一共著：文英堂）を引き、「発注者が義輝であるとすれば、その死後は制作が放棄された可能性を指摘して義輝発注説を否定し、同年の狩野松栄・永徳父子による大徳寺聚光院の襖絵制作からこのころ自由に永徳を使える人物として三好義継を発注者に挙げている」と紹介しています。<br />　以上、これを見ても黒田氏の説が必ずしも定説ではないことがご理解いただけると思います。
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<item rdf:about="http://sengokuzakki.seesaa.net/article/73518887.html">
<title>『洛中洛外の群像 失われた中世京都へ』瀬田勝哉</title>
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<description> これで最後にしようと思いますが、洛中洛外図関係の書籍の４冊目   瀬田勝哉『洛中洛外の群像 失われた中世京都へ』平凡社です（これも絶版です）。〈景観年代について〉 黒田氏は洛中洛外図の景観年代についてほぼ全面的に瀬田氏の意見に賛成しているようなので、黒田氏の著書を読んだ際にいずれは本書を読んで見なければ、と思っておりました。 黒田氏の著書では概略しか記されておりませんでしたので、どうしても消化不良だった、今谷氏の景観年代に対する批判が、この著書を読んで初めてかなり説得力を持...</description>
<dc:subject>洛中洛外図</dc:subject>
<dc:creator>天王寺屋</dc:creator>
<dc:date>2007-12-19T01:10:31+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　これで最後にしようと思いますが、洛中洛外図関係の<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%8F%91%90%D0" class="affiliate-link" target="_blank">書籍</a>の４冊目<br />　　　瀬田勝哉『洛中洛外の群像　失われた中世<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%8B%9E%93s" class="affiliate-link" target="_blank">京都</a>へ』平凡社<br />です（これも絶版です）。<br />〈景観年代について〉<br />　黒田氏は洛中洛外図の景観年代についてほぼ全面的に瀬田氏の意見に賛成しているようなので、黒田氏の著書を読んだ際にいずれは本書を読んで見なければ、と思っておりました。<br />　黒田氏の著書では概略しか記されておりませんでしたので、どうしても消化不良だった、今谷氏の景観年代に対する批判が、この著書を読んで初めてかなり<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%90%E0%93%BE%97%CD" class="affiliate-link" target="_blank">説得力</a>を持つことが分かりました。<br />　特に、松永氏と左義長の関係については軽々に批判することはできないものです（ちなみにこの本の表紙もこの松永邸門前の左義長です）。<br />　この左義長用の竹は、従前山科家が管理していた山科大宅郷から禁裏へ献上されていました。しかしながら、天文１８年（１５４９）１０月に松永甚介の知行とされてしまうのです。そして、その後永禄８年（１５６５）に山科言継が大宅郷の返付を禁裏に松永氏に対して働きかけていますから、少なくともこのころまでは、松永氏関係者に大宅郷は知行されていたのでしょう。<br />　そしてこの間の状況が端的に表わされているのが、上杉本に描かれている松永邸前の左義長の場面であると著者は述べています。<br />　さらに、三好邸の冠木門の件（著者はこの冠木門は永禄４年三月将軍義輝御成の際に<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%90V%92z" class="affiliate-link" target="_blank">新築</a>されたものであるとしている）と考え合わせれば、今谷説の矛盾点として非常に説得力を持つものと言えると思います。<br />　なお、先の左義長の件について、今谷氏は直接の反論はしておらず、単に天文１６年（１５４７）の時点で松永弾正が京都に邸宅を持っていてもおかしくはないと主張しているだけです。<br />〈闘鶏を見物する少年について〉<br />　さて、この著書でもう一つ気になった点があります。それは、武衛邸前で闘鶏を見物する少年についてです。著者は武衛邸が永禄年間に将軍邸であり、また毛氈鞍覆をつけた馬が控えていることから、この少年を義輝としています。<br />　しかしながら、著者も記しているように<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%92%AC%93c" class="affiliate-link" target="_blank">町田</a>本洛中洛外図にもこの闘鶏の場面は描かれており、上杉本の製作意図を反映したものというより、武衛邸と闘鶏との特殊な関係とらえた方が素直なように思えます。<br />　また、著者が指摘するように義輝の意図に沿ってこの屏風が制作されたのであれば、やはり自身を少年に描いたこと、自身の政庁である武衛邸が、父親の今出川御所に見劣りすることなどは、著者の説明をもってしてもまだ十分納得できるものではないような気がします。<br />　さらに、もしこれを義輝とするならば、今谷氏が主張する景観年代である天文１６年時点で義輝は１２歳（数え年）ですから、ちょうど年代的に整合します。よって、むしろ今谷氏の説を補強することになるのではないでしょうか？<br /><br />　以上、洛中洛外図関係の書籍を４冊読んできて感じたのは、永禄年間に描かれていたにしては天文年間の景観が多すぎる（①永禄年間には消滅していたと思われる今出川御所が描かれている、②歓喜光寺は天文２１年に高辻烏丸に移転しているのに旧地で描かれている、③飛鳥井家も天文２３年に転法輪三条家の屋敷を買収して転居している筈なのに旧地で描かれている）こと、著者や黒田氏が主張するような足利義輝の意向が働いているとするのは深読みであること、特に義輝の政治的理想像のようなイデオロギーを表現したようには思えないということです。<br />　結局、私としては今谷氏の説に強く引かれていますが、その一方、今谷氏の説明では景観年代に矛盾しているとされてしまう点があるのは事実です。よって、今谷氏の説が成り立つためには、他の洛中洛外図の景観年代もある時期に収斂することを論証し、この時代の洛中洛外図の景観は「写実」が基調であると論証する必要があるのではないかと思います。
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<item rdf:about="http://sengokuzakki.seesaa.net/article/73375328.html">
<title>『洛中洛外 環境文化の中世史』高橋康夫</title>
<link>http://sengokuzakki.seesaa.net/article/73375328.html</link>
<description> ここまでくると“毒を食らわば皿まで”では無いですけれども、どうしてももう少し調べて見たくなってしまいました。また絶版の書籍で申し訳ありませんが、今回は  高橋康夫『洛中洛外 環境文化の中世史』平凡社です。 この本を読みますと、先述した今谷氏や黒田氏が“何を書かなかったのか”が良くわかりました。それは当人たちは単に煩雑さを避けるため、叙述しなかったのかもしれませんが、重要な視点だと思います。 以下特に気になった点について書いてみます。１）洛中洛外図の構図 この本（正確にはこの...</description>
<dc:subject>洛中洛外図</dc:subject>
<dc:creator>天王寺屋</dc:creator>
<dc:date>2007-12-18T01:07:48+09:00</dc:date>
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　ここまでくると“毒を食らわば皿まで”では無いですけれども、どうしてももう少し調べて見たくなってしまいました。また絶版の<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%8F%91%90%D0" class="affiliate-link" target="_blank">書籍</a>で申し訳ありませんが、今回は<br />　　高橋康夫『洛中洛外　環境文化の中世史』平凡社<br />です。<br />　この本を読みますと、先述した今谷氏や黒田氏が“何を書かなかったのか”が良くわかりました。それは当人たちは単に煩雑さを避けるため、叙述しなかったのかもしれませんが、重要な視点だと思います。<br />　以下特に気になった点について書いてみます。<br />１）洛中洛外図の構図<br />　この本（正確にはこの本の「第四部　史料としての洛中洛外図屏風」）の中心主題は他の初期洛中洛外屏風との比較という視点なのですが、黒田氏の説のとの関りで最も重要だと思われるのは、これらの屏風の構図の取り方についてです。<br />　洛中洛外図の各本を見ると奥行方向の線が左上がりとなるもの（順勝手）と、右上がりになるもの（逆勝手）になるものが存在します。そして、この順勝手の場合、南面する建物（公武邸宅や寺院境内では南面することが多いと指摘しています）を、<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%8F%E3%8B%9E" class="affiliate-link" target="_blank">上京</a>隻では正面から描くことができますが、下京隻では裏側を描かざるを得ないということになります。<br />　実際、<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%92%AC%93c" class="affiliate-link" target="_blank">町田</a>本洛中洛外図屏風では上京隻にある将軍邸や細川邸を正面から描いているのに対し、下京隻にある内裏は裏側を描くことになってしまっています。<br />　これについて、著者は「等角図法の奥行線を左右どちらにとるかといった技術的問題ではなく、主題自体の選択、制作の意図を反映している」と指摘しています。よって、「下京隻に位置する内裏よりも、上京隻の将軍御所や細川邸などを意識したものといえよう」と結論づけているのです。<br />　では、問題の上杉本はどうなのでしょうか？　上杉本は町田本とは逆に逆勝手になっており、明らかに武家<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%8FZ%91%EE" class="affiliate-link" target="_blank">住宅</a>が集中する上京隻より、内裏が描かれている下京隻に重点が置かれていることが分かります。<br />　さらに、黒田氏の著書でも説明されていましたが、上杉本は他の洛中洛外図に比べて内裏の建築物への書き込みが多く、この点でも内裏中心に描かれていると言えるのではないでしょうか？<br />　黒田氏の説では旧勢力（細川京兆体制）と新勢力（三好体制）を包括する存在として将軍義輝がおり、その政治的理想像を描くことに本屏風の製作意図があったというのがその趣旨だと思いますが、上述したように上杉本の重心は武家邸宅（体制）にはなく、どちらかと言えば内裏中心の構成になっております。よって、黒田氏の主張する製作意図は成立しにくいのではないのでしょうか？<br />２）上杉本の「写実性」<br />　今谷氏は再三に渡って上杉屏風の写実性・記録性を述べておられます。しかしながら、例えば金閣は第二層にも花頭窓を描き、初層を土壁とするなど（著者は他にも北野天満宮本殿の正面に千鳥破風を描かないこと、同社忌明塔の外観なども指摘しています）、洛中の有数名所である金閣でさえ誤りがあるのですから、上杉本の写実性を過剰に信頼することはできないと思います（なお、今谷氏は現存の建造物と画中の建造物の比較を行っており、「屏風画面においては現物に忠実に写されていることがわかる」と結論づけています。しかしながら、昭和２５年（１９５０）に焼失してしまった金閣は言及されていません）。<br />　以上、長くなりましたがこの本で気になった点を２点ばかり挙げてみました。
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<item rdf:about="http://sengokuzakki.seesaa.net/article/73210438.html">
<title>『謎解き洛中洛外図』黒田日出男②</title>
<link>http://sengokuzakki.seesaa.net/article/73210438.html</link>
<description> さて、今回は『謎解き洛中洛外図』の２回目、上杉本洛中洛外図屏風の景観年代についてです。 景観年代について著者は、この屏風は写実を意図したものではないので、ある特定の時期には限定されない、と述べる一方、その景観は天文末年から永禄４年（１５６１）に収斂しているとしています。 これは、今谷氏の天文１６年（１５４７）景観説では年代的に矛盾してしまう景観（①三好筑前邸に描かれている冠木門（かぶきもん）、②松永久秀と左義長（さぎちょう）の関係、③妙顕寺の改称時期、④頂妙寺の再建時期）が...</description>
<dc:subject>洛中洛外図</dc:subject>
<dc:creator>天王寺屋</dc:creator>
<dc:date>2007-12-17T01:45:32+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　さて、今回は『謎解き洛中洛外図』の２回目、上杉本洛中洛外図屏風の景観年代についてです。<br />　景観年代について著者は、この屏風は写実を意図したものではないので、ある特定の時期には<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%8C%C0%92%E8" class="affiliate-link" target="_blank">限定</a>されない、と述べる一方、その景観は天文末年から永禄４年（１５６１）に収斂しているとしています。<br />　これは、今谷氏の天文１６年（１５４７）景観説では年代的に矛盾してしまう景観（①三好筑前邸に描かれている冠木門（かぶきもん）、②松永久秀と左義長（さぎちょう）の関係、③妙顕寺の改称時期、④頂妙寺の再建時期）があることから、その矛盾の無いように時間的幅を持たせた結果、天文末年から永禄４年の景観という結論が導き出されたわけです（なお、これらの点について今谷氏は反証していますが、同意は得られていないようです）。<br />　さらに、この景観に時間的な幅がある原因として、著者は瀬田勝哉氏の論を引き、「上杉本の政治的枠組みとして、天文１８年６月以降消滅する武家の体制があったことは認められるとしても、その体制を壊して実権を握った三好・松永という新興勢力も重ね合わせるように描かれており、それらを一段上から包摂する秩序が描かれている」ため、としています。要するに旧勢力と新勢力を包括する存在として将軍義輝を想定し、その政治的理想像（著者がこの言葉を使っている訳ではありませんが、要はそういうことだと思います）を描くことに本屏風の製作意図があったとしています。<br />　ところで、この「天文末年から永禄４年の景観」という指摘ですが、この天文末年を仮に天文１８年としますと（この年に本屏風に邸が描かれている高畠勘九郎が戦死しています）、この年は狩野永徳が７歳（数え年）の時ということになります。<br />　そして著者は「その<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%83%8A%83A%83%8A%83e%83B" class="affiliate-link" target="_blank">リアリティ</a>ある力強い表現からすれば、粉本のようなものに依拠したとは考えがたい（もちろん、東博模本などがあるのだから、粉本を何ほどかは利用したであろうが）」と述べているので、留保付きながら、基本的には粉本などの利用を否定しております。<br />　さて、著者の指摘ではこの屏風は永禄７年末か翌年に永徳により描かれたとしていますから、永徳は（すくなくともその一部は）７歳の時の記憶を元に、その１５年後に“リアリティ”ある絵を描いたことになります。こんなことが可能だったのでしょうか？<br />　以上、私のつたない読解能力ですので、誤解している部分も多々あるかと思います。しかしながら、今谷説が全く捨て去られ、黒田説が“定説”とされる程<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%90%E0%93%BE%97%CD" class="affiliate-link" target="_blank">説得力</a>をもったものとは思えないのですが、いかがなものでしょうか？
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<item rdf:about="http://sengokuzakki.seesaa.net/article/73103329.html">
<title>『謎解き洛中洛外図』黒田日出男①</title>
<link>http://sengokuzakki.seesaa.net/article/73103329.html</link>
<description> 今回は前回予告した、   黒田日出男『謎解き洛中洛外図』岩波新書です。絶版の書籍をご紹介するのはどうかと思いましたが、古本として入手し易いですし、何より、前回紹介した今谷氏の説をはじめ今までの「上杉本洛中洛外図」の研究史を平易にまとめ、かつ批判をおこなっているので、併読するとさらに興味深いものになると思いましたので、紹介することにしました。 さて、この本の要旨は、「上杉本洛中洛外図は、将軍足利義輝が盟友上杉謙信に贈るために、永禄７年（１５６４）年末か同８年初めに、若き狩野源...</description>
<dc:subject>洛中洛外図</dc:subject>
<dc:creator>天王寺屋</dc:creator>
<dc:date>2007-12-16T11:29:46+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　今回は前回予告した、<br />　　　黒田日出男『謎解き洛中洛外図』岩波新書<br />です。絶版の<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%8F%91%90%D0" class="affiliate-link" target="_blank">書籍</a>をご紹介するのはどうかと思いましたが、古本として入手し易いですし、何より、前回紹介した今谷氏の説をはじめ今までの「上杉本洛中洛外図」の研究史を平易にまとめ、かつ批判をおこなっているので、併読するとさらに興味深いものになると思いましたので、紹介することにしました。<br />　さて、この本の要旨は、「上杉本洛中洛外図は、将軍足利義輝が盟友上杉謙信に贈るために、永禄７年（１５６４）<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%94N%96%96" class="affiliate-link" target="_blank">年末</a>か同８年初めに、若き狩野源四郎（永徳）に命じて制作させていたものである」というものです。<br />　制作指示及び贈答者が足利義輝であるということを除けば、この説の論拠は『（謙信公）御書集』に記載されていることにあるので、この史料の信頼性如何がこの説のキモになるのでしょう（残念ながら、この『（謙信公）御書集』についての史料批判は十分なされていないように私には思えます）。<br />　一方、制作指示及び贈答者が足利義輝であるという点については、史料上明確に記載されているものではなく、あくまでも状況証拠に基づく推論ですから、反論の余地は多分にあると思います。<br />　さらに、著者は左隻の中央よりやや下に描かれている「輿に乗る貴人」を上杉謙信に比定していますが、これもどうなのでしょうか？　細川（管領）邸の方向より公方邸に来たるこの行列はやはり管領一行とした方が自然のような気がします。著者はこの行列の従者の髪形より管領一行ではありえないが、管領クラスの人物ということで、謙信に比定しています（もちろん本屏風が上杉家に伝来したことも理由の一つでしょう）。しかしながら、明らかに管領邸の方向から進んで来ているのですから、私には従者の髪形だけを根拠に管領ではないとするのは根拠が弱いような気がします（著者は本屏風に「写実性」を求めることを否定しています。その論法で言えば、髪形の多少の誤りは許容すべきものなのではないでしょうか？）<br />　ところで、私が気になったのは、本屏風の景観年代についてです。ただ、これを書くと長くなりそうなので、次回書く事にいたします。
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<item rdf:about="http://sengokuzakki.seesaa.net/article/70781400.html">
<title>『京都・一五四七年 上杉本洛中洛外図の謎を解く』今谷明</title>
<link>http://sengokuzakki.seesaa.net/article/70781400.html</link>
<description> つい先日まで、京都で「狩野永徳展」が開催されていたこともあり、気になって読んでみました。   今谷明『京都・一五四七 上杉本洛中洛外図の謎を解く』平凡社です。 従来、上杉本洛中洛外図屏風に描かれた京都の景観について、「理想像・あるべき姿」を描いた空想的都市景観であるとされたり、「伝狩野永徳筆」に引きずられてか、「永禄年間の京都の景観」とされてきました。 本書では、これらの通説を一蹴し、この屏風に描かれた景観は天文１６年（１５４７）の５月から閏７月のわずか３ヶ月ばかりの間に絞...</description>
<dc:subject>洛中洛外図</dc:subject>
<dc:creator>天王寺屋</dc:creator>
<dc:date>2007-12-04T01:27:34+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　つい先日まで、<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%8B%9E%93s" class="affiliate-link" target="_blank">京都</a>で「狩野永徳展」が開催されていたこともあり、気になって読んでみました。<br />　　　今谷明『京都・一五四七　上杉本洛中洛外図の謎を解く』平凡社<br />です。<br />　従来、上杉本洛中洛外図屏風に描かれた京都の景観について、「理想像・あるべき姿」を描いた空想的都市景観であるとされたり、「伝狩野永徳筆」に引きずられてか、「永禄年間の京都の景観」とされてきました。<br />　本書では、これらの通説を一蹴し、この屏風に描かれた景観は天文１６年（１５４７）の５月から閏７月のわずか３ヶ月ばかりの間に絞られることを論証しております。<br />　その論証の方法は、武家屋敷、寺社、公家の邸宅の一軒一軒について、古文書、古記録などから、その建物が現存した年代の上限・下限を調べてゆくというものです。この方法で調査できる全ての建築物に対し上限・下限を調査した結果、上記３ヶ月の間に収まってしまったということです。まさに偏執狂的な作業という他ありません！<br />　これだけ徹底的に調査・考察したものに対し異論を挟むのは不可能ではないかと思うのですが、どうもそういうわけではないようです。…というわけで次回は、黒田日出男著『謎解き洛中洛外図』です。<br />　ところで、近刊の『<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%8C%7C%8Fp" class="affiliate-link" target="_blank">芸術</a>新潮２００７年１１月号（「<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%83~%83X%83%5E%81%5B" class="affiliate-link" target="_blank">ミスター</a>桃山　天下の狩野永徳！」）』においても、本書の内容はほとんど紹介されておりません（逆に、この『芸術新潮』では前述の黒田氏の説が“ほとんど定説になっている”と紹介されていました）。<br />　本書の旧版の発刊時にはかなりセンセーショナルでかなり<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%98b%91%E8" class="affiliate-link" target="_blank">話題</a>になったようですが、今では“過去の遺物”の様に扱われてしまっているのが残念でなりません。私的には今なお十分<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%90%E0%93%BE%97%CD" class="affiliate-link" target="_blank">説得力</a>をもった説に思えるのですがいかがなものでしょうか？<br /><br />付記）<br />　本書の本文では、景観年代だけではなく、本屏風の製作者についても言及し、狩野永徳筆を否定しています。しかしながら、この新版の<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%8Fo%94%C5" class="affiliate-link" target="_blank">出版</a>に伴い、あとがきで「製作者が『絶対に永徳ではない』とこだわるつもりはなくなっている」とトーンを弱めています。<br />　
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</item>
<item rdf:about="http://sengokuzakki.seesaa.net/article/70594318.html">
<title>『松永久秀の真実』藤岡周三</title>
<link>http://sengokuzakki.seesaa.net/article/70594318.html</link>
<description> 今回紹介する本は、   藤岡周三『松永久秀の真実』文芸社です。 本書のテーマは、松永久秀＝「悪人」のイメージを払拭し、さらに織田信長＝「新時代」の魁としての人物像を提出することです。 現行では小説を除けば、松永久秀の単行本は本書しかなく、また叙述も平易なので、松永久秀の概説としては良いのかもしれません。 しかしながら、著者も「古文書に目が届きかねているところが少なくない」と述懐しておりますが、一次史料を利用した新知見などはなく、その意味ではもの足りない人も多いのではないでし...</description>
<dc:subject>その他</dc:subject>
<dc:creator>天王寺屋</dc:creator>
<dc:date>2007-12-03T00:46:44+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　今回紹介する本は、<br />　　　藤岡周三『松永久秀の真実』文芸社<br />です。<br />　本書のテーマは、松永久秀＝「悪人」の<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%83C%83%81%81%5B%83W" class="affiliate-link" target="_blank">イメージ</a>を払拭し、さらに<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%90D%93c%90M%92%B7" class="affiliate-link" target="_blank">織田信長</a>＝「新時代」の魁としての人物像を提出することです。<br />　現行では<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%8F%AC%90%E0" class="affiliate-link" target="_blank">小説</a>を除けば、松永久秀の単行本は本書しかなく、また叙述も平易なので、松永久秀の概説としては良いのかもしれません。<br />　しかしながら、著者も「古文書に目が届きかねているところが少なくない」と述懐しておりますが、一次史料を利用した新知見などはなく、その意味ではもの足りない人も多いのではないでしょうか。<br />　さらに、内容のほぼ半分は久秀以外の事に費やされ、久秀の叙述が一段落した後に、細川氏、三好氏、足利幕府などの通史がそれぞれ叙述されるので、時間的な流れが行きつ戻りつします。<br />　私にはこれが非常に煩瑣で読みづらかったです。これでしたら、畿内政治史として一通り時系列順に叙述し、その後、久秀の事蹟については<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%83g%83s%83b%83N%83X" class="affiliate-link" target="_blank">トピックス</a>的にまとめた方がずっと読みやすかったような気がします。<br />　また、この時代は、足利氏、細川氏などが一族内で合い争う複雑な人間関係を理解しなければならないのですから、初心者向けの本であるならば、人間関係の関係図くらいはいれないと不親切であるように思えます。
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<item rdf:about="http://sengokuzakki.seesaa.net/article/64002474.html">
<title>『棟札の研究』水藤真</title>
<link>http://sengokuzakki.seesaa.net/article/64002474.html</link>
<description> 今回紹介する本は、   水藤真『棟札の研究』思文閣出版です。 本書は、題名の如く「棟札」に関する本なのですが、「よくもまぁこんな内容の本が一般書で出版されたなぁ~」っていう感じです。値段も３８００円（税別）ですから、高価という程でもありません。 とはいえ、棟札は『戦国遺文』を初めとする古文書集にも数多く掲載されておりますが、一般の古文書と違い解説書等も少なく、その意味でこの本は最良の一冊と呼べるのではないでしょうか（とはいえ、参考文献を見ますと棟札関係の文献が意外に多いのに...</description>
<dc:subject>その他</dc:subject>
<dc:creator>天王寺屋</dc:creator>
<dc:date>2007-11-02T01:20:56+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　今回紹介する本は、<br />　　　水藤真『棟札の研究』思文閣出版<br />です。<br />　本書は、題名の如く「棟札」に関する本なのですが、「よくもまぁこんな内容の本が一般書で<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%8Fo%94%C5" class="affiliate-link" target="_blank">出版</a>されたなぁ～」っていう感じです。値段も３８００円（税別）ですから、高価という程でもありません。<br />　とはいえ、棟札は『戦国遺文』を初めとする古文書集にも数多く掲載されておりますが、一般の古文書と違い解説書等も少なく、その意味でこの本は最良の一冊と呼べるのではないでしょうか（とはいえ、参考文献を見ますと棟札関係の文献が意外に多いのには驚かされます）。<br />　内容は、棟札が作られる状況、歴史的変遷、様式、書かれている内容、保管状況、数枚の<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%83Z%83b%83g" class="affiliate-link" target="_blank">セット</a>の棟札など、多角的に考察されています。特に様式論などについては、全くバラバラという訳ではないものの、作られた事情や地域的な差異などにより、多種多様で様式的・内容的な分類がしずらい棟札の特徴が数多くの例によって解説されております。<br />　ただ、棟札に書かれた文言の内容については言及が少なく、著者自身も『棟札用字用語辞典』の作成が望まれるとしているように、この本を読んだからと言って、棟札に書かれている内容が全てわかるというものではありません。あくまで棟札の多様性やその資料的な価値が理解できる文献といった方が良い内容と言えます。
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://sengokuzakki.seesaa.net/article/63566530.html">
<title>『秀吉神話をくつがえす』藤田達生</title>
<link>http://sengokuzakki.seesaa.net/article/63566530.html</link>
<description> 今回紹介する本は、   藤田達生『秀吉神話をくつがえす』講談社現代新書です。 本書の題名から、津田三郎氏の『秀吉英雄伝説の謎』（中公文庫）のような内容かと思ったのですが、そうではありませんでした。ちなみに『秀吉英雄伝説の謎』ではその死後実際に「豊国大明神」にまで登り詰める秀吉の神格化について叙述しています｡ 一方、本書ではまず第一章で秀吉の前半生（本能寺の変まで）を述べています｡ この章での著者の力点は、秀吉は「非農業民」の出身であったとの指摘です｡「非農業民」（著者の叙述...</description>
<dc:subject>織豊政権</dc:subject>
<dc:creator>天王寺屋</dc:creator>
<dc:date>2007-10-31T01:04:49+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　今回紹介する本は、<br />　　　藤田達生『秀吉神話をくつがえす』講談社現代新書<br />です。<br />　本書の題名から、津田三郎氏の『秀吉<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%89p%97Y%93%60%90%E0" class="affiliate-link" target="_blank">英雄伝説</a>の謎』（中公文庫）のような内容かと思ったのですが、そうではありませんでした。ちなみに『秀吉英雄伝説の謎』ではその死後実際に「豊国大明神」にまで登り詰める秀吉の神格化について叙述しています｡<br />　一方、本書ではまず第一章で秀吉の前半生（本能寺の変まで）を述べています｡<br />　この章での著者の力点は、秀吉は「非<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%94_%8B%C6" class="affiliate-link" target="_blank">農業</a>民」の出身であったとの指摘です｡「非農業民」（著者の叙述では単なる商人なのか、被差別民なのか判然としないところがありますが）であったがゆえに、旧来の常識にとらわれず、一人だけ異次元の行動をとることができたのだ、という論旨になります。本章では直接この点を論述している量は多くはありませんが、第二章及び第三章においても通底している<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%83C%83%81%81%5B%83W" class="affiliate-link" target="_blank">イメージ</a>となっています。<br />　なお、藤田氏は、「信長は〈中略〉秀吉のことは「禿鼠（<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%82%CD%82%B0" class="affiliate-link" target="_blank">はげ</a>ねずみ）」と呼んだが、「猿」と呼んだ確証はないのである」と指摘しているが、一般的には<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%90D%93c%90M%92%B7" class="affiliate-link" target="_blank">織田信長</a>黒印状（『増訂織田信長文書の研究』七〇〇号文書）に「猿帰り候て」とあることから、「猿」と呼ばれていたことは間違いないとされています。<br />　第二章においては、本能寺の変について語られます｡著者はこの呼び方に不快感を示していますが、一般的には「足利義昭黒幕説」と呼ばれている内容です｡本能寺の変に関しては、近頃<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%95S%89%D4%E3%87%97%90" class="affiliate-link" target="_blank">百花繚乱</a>の感がありますので、桐野作人氏の『真説本能寺』（学研Ｍ文庫）、鈴木眞哉氏・藤本正行氏の共著『信長は謀略で殺されたのか』（洋泉社新書）、谷口克広氏の『検証本能寺の変』（吉川弘文館）等との併読をお勧めします｡残念ながら私にはこの点について批評する知識がありません。<br />　続いて第三章ですが、これは藤木久志氏の『豊臣平和令と戦国社会』（東京大学出版会）への批判となっています｡藤木氏についてはこのブログでその著書『刀狩り』を紹介させて頂いております｡その『刀狩り』においても藤木氏の提唱する「豊臣平和令」の思想は基礎となっていたので、藤田氏のこの批判は興味深いものでした。<br />　藤田氏の指摘は以下の２点に集約されます｡一つ目は「豊臣平和令」と呼べるような法令は無いということ。二つ目は秀吉の統一事業は、平和政策を基調とし平和を乱した大名を征伐したのでは無く、豊臣政権の恣意的な国分施策を貫徹するための戦闘行為であったとしています。<br />　私は他に<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%94%E4%8Ar" class="affiliate-link" target="_blank">比較</a>すべきものを読んだことが無いので、軽々な事は申せませんが、この章は一読に値すると思います｡
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</item>
<item rdf:about="http://sengokuzakki.seesaa.net/article/59313158.html">
<title>『戦国三好一族』今谷明</title>
<link>http://sengokuzakki.seesaa.net/article/59313158.html</link>
<description> 今回紹介する本は  今谷明『戦国三好一族』洋泉社ＭＣ新書です。 この本の原本は１９８５年に刊行ですから、２０年以上前の本ですので、最新の研究と比べると古さを感じさせる点が多々あると思いますが、それでも畿内の戦国史を概観する上で、最も手ごろなものと言えるのではないでしょうか。 内容は室町幕府という旧権力と、三好氏（特に長慶）という新権力のせめぎ合いが描かれております。結局、三好氏は室町幕府体制を崩すことが出来ずに終わる訳ですが、著者は、「百歩譲って、信長以前の畿内政権という面...</description>
<dc:subject>その他</dc:subject>
<dc:creator>天王寺屋</dc:creator>
<dc:date>2007-10-07T03:11:27+09:00</dc:date>
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　今回紹介する本は<br />　　今谷明『戦国三好一族』洋泉社ＭＣ新書<br />です。<br />　この本の原本は１９８５年に刊行ですから、２０年以上前の本ですので、最新の研究と比べると古さを感じさせる点が多々あると思いますが、それでも畿内の戦国史を概観する上で、最も手ごろなものと言えるのではないでしょうか。<br />　内容は室町幕府という旧権力と、三好氏（特に長慶）という新権力のせめぎ合いが描かれております。結局、三好氏は室町幕府体制を崩すことが出来ずに終わる訳ですが、著者は、「百歩譲って、信長以前の畿内政権という面からだけを見ても、幕府権力を形骸化し、信長が試行錯誤をした同じ過程を、数十年前に行った意義は決して小さくない」と高い評価をあたえています。<br />　このような高い評価をあたえている一方、要所で<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%90D%93c%90M%92%B7" class="affiliate-link" target="_blank">織田信長</a>との<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%94%E4%8Ar" class="affiliate-link" target="_blank">比較</a>を行っているところは、非常に興味深いところです。「一切を冷酷に押し切った信長の割り切り方をできなかった長慶の悲劇があったのだ」という言葉にすべてが表わされておりますが、悪く言えば優柔不断、良く言えば人格者であった長慶の性格が、新時代を開かせる可能性を消してしまったと、厳しい評価も与えているのです。このあたりは、三好氏に興味のある人だけでなく、信長のファンにも是非読んで欲しいところです。<br />　さて、余談ですが私はこの本を読んで、初めて松永久秀をカッコイイと感じました。永禄４年（1561）から５年にかけて、六角義賢・細川晴元・畠山高政らに攻められ、長慶は飯盛城に籠城を余儀なくされてしまいます。久秀は、その長慶を救い、最後は天下分け目の教興寺の戦いで勝利を呼び込みます。これだけでも久秀は英雄と言えるのではないでしょうか。<br />　以上、畿内の政治史は門外漢のため、ただの読書感想文になってしまいました。
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<title>『戦国期印章・印判状の研究』有光有學編</title>
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<description> 先日御紹介しました山室恭子著『中世のなかに生まれた近世』は確かに名著ですが、出版が1991年であり、その10年以上たってしまっております。よってその後の研究状況がどうなったのか、知りたくなってしまいます。 そこでその飢えを癒してくれるのが、本書でしょう。   有光有學編『戦国期印章・印判状の研究』岩田書院 この本は、それぞれ著者の違う論文集であるので、統一感はありませんが、それでもほぼ地域的には全国をほぼ網羅し、時代も鎌倉時代から江戸時代まで言及されているので、このテーマに...</description>
<dc:subject>その他</dc:subject>
<dc:creator>天王寺屋</dc:creator>
<dc:date>2007-09-18T00:38:33+09:00</dc:date>
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　先日御紹介しました山室恭子著『中世のなかに生まれた近世』は確かに名著ですが、<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%8Fo%94%C5" class="affiliate-link" target="_blank">出版</a>が1991年であり、その10年以上たってしまっております。よってその後の研究状況がどうなったのか、知りたくなってしまいます。<br />　そこでその飢えを癒してくれるのが、本書でしょう。<br />　　　有光有學編『戦国期印章・印判状の研究』岩田書院<br />　この本は、それぞれ著者の違う論文集であるので、統一感はありませんが、それでもほぼ地域的には全国をほぼ網羅し、時代も<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%8A%99%91q" class="affiliate-link" target="_blank">鎌倉</a>時代から江戸時代まで言及されているので、このテーマにおける現時点での総括といえる内容となっています。<br />　さて、前述の『中世のなかに生まれた近世』との<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%94%E4%8Ar" class="affiliate-link" target="_blank">比較</a>で言えば、有光有學氏が「今川氏の印章・印判状」の中で、次のように批判しています。<br />　①今川氏の発給文書は、『中世のなかに生まれた近世』で調査された文書が８００点余りであるのに対し、現在は１２００点余りが知られており、数的には５割方増えている。この相違は数だけに止まらず、質的にも変化しており、前者では寺社宛の比率が高かったが、家臣宛の文書の比率が高くなってきている。<br />　②山中氏が統計的手法により可能な限り全体像を把握しようとしたのに対し、やはり文書一つ一つを分析する必要がある。<br />　③山中氏が、文書の内容を分類しているが、その分類の仕方は再検討する必要がある。<br />　②、③については見解が分かれるところだと思いますが、③の再検討の必要性についてはその通りだと思います。<br />　さて、<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%82%BB%82%CC%91%BC" class="affiliate-link" target="_blank">その他</a>の論文について、いくつか述べますと、まず、平山優氏が「戦国大名武田氏の印章・印判状」で武田氏の発給文書について概説しております。『<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%95%90%93c%90M%8C%BA" class="affiliate-link" target="_blank">武田信玄</a>と勝頼』で触れました竜朱印や晴信朱印などについても初見、使用状況などが解説されており、同書で興味を持った方は併読をお勧めします。<br />　また、『中世のなかに生まれた近世』で全く触れられていなかった<a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=431344&keyword=%8El%8D%91" class="affiliate-link" target="_blank">四国</a>の状況を、川岡勉氏が「四国における印章・印判状」で説明しています。<br />　以上、値段が高め（８９００円（税別））ですが、発行６００部だそうで、興味のある方は早期の購入をお勧めします。
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