藤木久志著『刀狩り』岩波新書
です。
誰もが知っている歴史用語でありながら、それまで全く研究がなされていなかった「刀狩り」について、その意義を一新させた画期的な著作です。歴史学における基本的文献の一つと言って良く、既に多くの方が論評しておりますので、いまさら内容を紹介することも無いと思いますが、一応簡単に。
従来、「刀狩り」は農民の武装解除令と捉えられてきましたが、実は武器の“所持”に関しては肝要で、ただ“帯刀する武士”身分と“それ以外”の身分を区別した身分統制令であったのです。そして、日本では、秀吉の「刀狩り令」、明治の「廃刀令」、戦後のGHQによる民衆の武装解除政策と三段階の「刀狩り」があり、この三段階目に至って初めて日本の民衆の武装解除はなされたとしています(それでも現在230万本の刀剣が全国にあるそうです)。
ところで、そもそもなぜ私が突然このような本を読んだかというと、以前、海上知明著『信玄の戦争』について書いた時、兵農分離について後日調べて見たいと書きました。その一環として本書を読んだ訳です。
つまり、「刀狩り令」が、身分統制令または武装解除令のいずれであったとしても、農民と武士を区別するものであったことは間違いありません。
とすれば、「刀狩り令」の厳格な運用は、兵農分離の要件の一つといって良い訳です。もし、この「刀狩り令」が織田政権の領土で広範かつ厳格な運用が認められるのであれば、信長の軍隊は兵農分離していた可能性をみることができます。
ところが著者の調査によれば、織田政権では、越前での「刀狩り」の微証があるものの、他の地域では確認できておりません。他地域で全く見られないということは、越前の例は特殊事例(おそらく反乱防止の為、やむを得ずとった臨時の処置)ということができ、織田政権の恒常的な施策としては「刀狩り」は行なわれなかったと言う事です。
結局、通説通り「刀狩り令」の徹底は秀吉によってなされたのであり、兵農分離は秀吉からということを裏付ける根拠の一つになるでしょう。
ところで、「刀狩り」だけでなく、武士の城下町への集住(武士と耕地の切り離し)や、「検地」による耕作者(農民)と武士の明確な区別など、兵農分離の要件は他にもありますので、これらの点についてはまた後日調べて見たいと思います。

