2007年09月05日

『武田信玄と勝頼』鴨川達夫C

 さて、『武田信玄と勝頼』の4回目です。 
 今回はに武田氏の印判である龍を刻んだいわゆる「龍朱印」と当主の諱を刻んだ「晴信」の朱印についてです。
 この点について著者は、龍朱印は、上位の印判であり、戦場のように、破損や紛失の恐れのある場所には、持って行かなかったとして、戦場に近い場所では、龍の朱印を捺すことができず、代わりに下位の印判である「晴信」の朱印を捺印したと述べております。
 これに対して、片桐昭彦氏は「戦国期武田氏の文書発給システムと権力」(『歴史学研究』736号)において、「武田家では当主が在陣中には家印である龍・獅子両印判を携帯していたのである」と述べております。
 はたして、どちらが正解なのでしょうか? 
 片桐昭彦氏は、@天正7年(1579)8月末から12月初頃まで勝頼は駿河国江尻に在陣したと思われるが、その間に、武田家が発給した奉書式印判状が八通(龍朱印七通、獅子朱印一通)存在すること、A永禄四年(1561)長窪大門□中宛、龍朱印状において、文中に「陣下へ可注進者也」とあることから、信玄が在陣中に龍朱印状が発給されたとしており、竜朱印が常に当主と伴にあったことの根拠としております。
 また、著者の根拠としては、「晴信」朱印を押した感状が合戦の当日に発給され、一方竜朱印を押した感状は合戦から日をおいて発給されたことを根拠としています。
 いずれも相応の根拠があることから、「龍朱印が全く持ち出せなかった」とか「常に当主と共にあった」とは一概に言えないと思われます。
posted by 天王寺屋 at 23:35| Comment(0) | TrackBack(2) | 武田氏 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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