まず調べたのは、著者が文書は手紙系(書状)のものと書類系(証文、これは著者独自の言葉)のものに大別できるということについてです。
著者の指摘によれば、書状は、多くの場合先方への挨拶で始まり、用件を記したのち、「恐々謹言」という文言で結ばれ、月日のみを記して年紀(年号)は付けないということです。さらに紙の形態(料紙)は相手が家臣または近隣の大名である場合は竪切紙(通常の紙を縦に半分程度に切ったもの)が、遠隔の大名である場合は切紙(同じく横に半分に切ったもの)が、それぞれ多く見られるとしています。
また証文については、信玄や勝頼が決定した施策や確認した事項を、公式に通達する文書であり、必要な事柄を事務的に記した上で、原則として「仍って件の如し(仍如件)」という文言で結ばれる(相手によっては書状と同じ「恐々謹言」を用いる場合もある)としています。また、書状系と違い、年紀が必ず記入され、料紙は永禄九年(一五六六)の夏ごろを境として、折紙が主流であったのを、原則として竪紙(紙の全面を用いる)で作るように改めたということです。
さて、私の古文書のイメージといえば、様式の類型化はある程度まではできるものの、例外もかなり多くなるのではないかと思っておりました。
そこで、元亀元年から信玄が死ぬまでの文書及び無年号文書の一部(具体的には『戦国遺文 武田氏編』第三巻の1489号文書から2121号文書)の中で、@武田家及び当主である信玄の発給した文書(つまり家臣の発給した文書を除いたもの)であり、A正文(写と偽文書の可能性を指摘されているものを除いたもの))であるものを調べ、著者の言うように書状と証文の区別が明確にきるかどうかやってみました。
その結果、豈にはからんや、著者の区分からはずれるようなイレギュラーな文書は以外に少なかったのです(イレギュラー文書の一覧は次回掲載します)。
詳細を言うと、全文書311件中、31件(10%)がイレギュラーな文書でした。さらに、著者は料紙について、書状は、竪切紙、切紙が多いとし、証文については“原則として”竪紙に改めたと、含みを持たせていますので、これを除くとイレギュラーな文書は20件(6.4%)となります。
そして、著者の区分に、「条目」は内容的には証文であるが年紀がない(4件)の条件を加えると更に確度が高まります。この条件を加えるとイレギュラーな文書は16件(5.1%)にしかなりません。
このイレギュラーな文書の中には、右筆(書記者)等が書き落とした単なるミスの可能性もありますし、また、偽文書である可能性もあります(実際にかなり怪しいものもあります)ので、さらに詳細を調べればイレギュラーの率はさらに少なくなると思われます。
よって私の調査した結果、著者の指摘はかなり的を得ていると言えると思います。

